『結婚・出産』という選択について考える

結婚はしたいと思っていた。すると思っていた。

というか、するか、しないか、ということをそれほどじっくり考えたことはなかったかもしれない。

今でこそ独身が増えているし、それが選ばれるようにもなってきているが、
まだ私の時代は結婚するのが当たり前、という考えの方が主流だったと思う。

子どもは欲しいと思っていた。

兄弟はいたほうがいいから2人は欲しいな、などと漠然と考えていた。

家庭はやっぱり円満がいいよね。
「こういう家庭!」と理想のイメージを強く持っていたわけではなかったかも…。

そう思うと、平々凡々と生きてきたな、私。

お金持ちでもなく、かといってものすごい貧乏というわけでもなかったと思う。

でも今思うと、経済的にはぎりぎりだったんだろうなぁ。

父は、娘の私が言うのもなんだけど、優秀ではなかったから、平サラリーマン。
車の免許も持っていないくて、原付バイクで仕事に行っていた。
定時で帰ってきてTVを見ながらお酒を飲んでいた。

母はよく働いていた。家事もすべて母がやっていた。

自分が母親になって思うことだけど、
もう少し家事とか手伝ってあげていればよかったな…。
学校から帰ってきたら、こたつでぬくぬくしながら寝転がってテレビを見ていましたよ、私…。

あのころ…『ダン吉、直美の、おまけコーナー』
何の番組だったかな…。けっこう好きで見ていた。

母は私が小さい頃から鍵っ子だったのを申し訳なく思っていたのか、
「ごめんね」「えらいね」とよく褒めてくれていた。

5時半ころ帰ってきて、休む間もなく夕飯の準備をしていた。
洗濯物を私が取り込んでおくと、すごく喜んでくれた。

結婚して自分が母親になって、ふと昔のことを思い出すときがある。

結婚はしたいと思っていた。

仕事はもちろんしていたし、一応専門職としてほこりをもって働いていた。

仕事と家庭を両立したいと思っていた。

それにあこがれをもっていたのかもしれない。
仕事もできて、家のこともちゃんとやる、みたいな。

すごく好きだった彼に28歳でふられた。

この人と結婚すると思っていたからかなりショックだった。

この人の子どもが欲しいと思ったし、この人のためだったら介護だってできると思ってた。

でもふられてしまった。

そのことについてはもう考えていない。

ときどきあの人と結婚して、あの人の子どもだったらどんなんだったかな、と想像することがあるけど、
でもきっとうまくいかなかったんだろうと思う。だから結ばれなかった。

誤解させてはいけないけど、自分の子どもは大好きだ。愛している。
万が一子どもがこの文を読んで落ち込むことがあってはいけない。

大好きな人にはふられてしまったけど、
それでもやはり結婚はすると思っていた。

すごくしたかったんだろうか…。

もっとよく考えるべきだったのかもしれない。

でも、当時30歳、なんとなく焦っていたのかもしれない。

結局私は32歳で結婚した。

まあまあその当時の適齢期だろう。
適齢期よりは遅いかもしれないが、まあまあ。

子どもは欲しいと思っていたから、出産に関して正直年齢は気になっていたんだ。

ものすごい好きだったか、と言われると自信がないが、(これまた本人がみたら大変なことになってしまう)
でもこんなものなのだろうと思った。
燃え上がる恋で結婚までして、今なお幸せ、というストーリーはあまり知らない。

でもいるけど。
そういう話をきくとうらやましいが

まあ、不幸ではない。

経済的に楽ではないが、一応人並みに生活している。
子どもにも恵まれた。

世界は広すぎる。

与えられた環境で幸せを見つけていくのだ。

それは、悪いことではない。むしろ正解だと思っている。

ということで、わたしはふつうに結婚して出産した。

結婚VS.独身貴族

このテーマはすでによくあるのだろう。
結論から言えば、両方いい悪いがある。そんなのみんな分かってる。

物事ほとんどそうだ。
どちらかが100%なんてことはほぼない。むしろそれだったら迷わないわけだ。

きっと多くの既婚女性が思ったことはあると思う。結婚していなかった自分。

もし結婚していなかったら…

もし子どもがいなかったら…

同僚の独身女性と仕事をしていてよく思った。

きれいな恰好をして夜出かけていく。
誘われるけど行けるわけない。
そのうち誘われなくなった。

残業になっても、まあ仕事は大変だけど、子どものお迎えや洗濯物、夕飯の準備のことなんて心配しなくてもいい。

私は仕事は好きだったから、研修なんかも出たかった。
でも無理。そういうのは業務終了後だから。

休みの日に研修も多く開催されるが、「家族の日」…。
子どもだって、毎回お留守番じゃかわいそうだよね。

当然自分の時間なんてそうそう確保できない。

最近の父親はだいぶ変わってきているようだけど、
やっぱり家事の主は母親であり妻である私。
夫にお茶を入れ、当然ご飯をつくり掃除機をかける。

ときどきお風呂なんか洗ってくれると「手伝ったよ」的な発言。

「手伝う」

そもそも手伝いだと思っている。主は自分ではないのだ。

まあ、ここで夫の不満を口にしてもきりがない。
共同生活で多くの人は不満を抱えているだろう。それでもうまくすすんでいる。

正直みんなすごいと思う。

子どもはかわいい。本能だろう。かわいいのだ。
いろいろあったとしても、やはり子どもはかわいいのだ。

夫は他人だからそうはいかないが。

きっと色々な家庭がある。
夫婦のかたちも色々だろう。

そしてそれはあまり他者は踏み込めず、まわりからは見えないことが多い。

なので共感や問題発覚も難しいのかもしれない。

自分の幸せを考える。

自分が幸せでなければ
他人を幸せにはできないんだ

そう思う。

ひとと比較しても仕方がない。

そもそも幸せの尺度が異なる。

だから、自分の幸せを考える。

幸せをつかむのだ。

幸せはそこにある。

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